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メディアと人間


メディア論メモ

人間が, 情報メディアによってどのような仕方で作用を受けるか.

The medium is the message.

伝達の形式そのものも, 情報として意味を持つ. 携帯で話をするという行為の形式が, 快感?

音声言語の段階では人間の五感のうち「聴覚」がもっとも優勢.

視覚的に構成された世界は、統一され、均質化された空間の世界である。 そしてこのような世界は話し言葉がもつ複数の要素が共鳴しあう世界とは無縁のものなのだ。

感覚性, 具象性 : 自然言語は高級コンピュータ言語よりも, 高級コンピュータ言語はアセンブラよりも, アセンブラは機械語よりも, 具象性を持ち, 人間の感覚に近い.

「長電話をして二時間、三時間喋っていると、自分の所在がわからなくなる様な 不思議な錯覚に陥ることがある。電話での話題は、実際に自分がいる場所や時間とは 異なる時空をもっている。…そこで展開する話に没頭しているうちに、 いわばその世界にトリップしてしまい、ふと我に帰ってみて現実の自分の所在に 違和感を感じる。(大学三年 女)」

「電子メディアは、しばしば、分裂病者の妄想を誘発する。たとえば、多くの分裂病者は、テレビを見ているうちに、奇妙な妄想的な異常を体験することが、報告されている。ある専門家は、この体験を「テレビ体験」という名のもとで、一括している。それは、次のように告白する分裂病者の症例のうちに、典型的に見て取ることができる。テレビでニュース解説者の表情を見ていると感情が通じているなと直感します。その人の顔をにらんでいると、向こうでもこちらをにらんでいるんです。アナウンサーの感情がこちらに伝わってくるばかりでなく、自分の感情もアナウンサーに伝わり、その反応が声にでます。 何か自分を引きつけるものを感じて、テレビの前から離れることができない。自分がテレビを見ているのか、テレビが自分を見ているのかわからなくなってひどく混乱してしまう。」

コンピュータにおいてはもっと簡単に、一種のトリップ状態——別の感覚状態への自己の分離——が生じます。そのもっとも典型的な例の一つは、とりわけロールプレイング、アドベンチャー、アクション、シミュレーションといったジャンルのゲーム(要するにパズル以外のほとんど全部?)

こういった現象は、初期のファミコン時代の粗雑な画面と無機的な電子音においてさえ劇的に生じていたのですが、現在のきわめてリアルな三次元的運動を表示する画面やリアルな音声においては、さらに容易にしかも深く引き起こされることになる

感覚変容のあり方

SF的になりますが士郎正宗の『攻殻機動隊』のように、デジタル情報がそのまま神経に接続されるようなインターフェースができたとすれば、われわれが「現実」と考えているものから受け取っている感覚的刺激と、「仮想的」な感覚的刺激の間には、事実上境界はほとんどなくなってしまうかもしれません。映画『トータル・リコール』はそういった混乱へと見ている人を巻き込む心地よい刺激に満ちていますが、しかし、主人公はやはり「現実」を求めることになります。(主人公は、当初の「現実」を拒否しますが、選択したものは当初のものとは異なるとはいえ、やはり「現実」です。)

19世紀後半のドイツでは、中産層の市民にとってもまた、社会的により上の地位を獲得するために「教養」は必要だった

一方で「精神」「教養」「文化」あるいは「統合性・有機性」に圧倒的な価値が置かれているとすれば、それに対して、「技術」「文明」あるいは断片的なこと・末梢的なこと(例えば「情報」)は、しばしば副次的な価値しか持たないもの、あるいは場合によっては、人文的教養によってあからさまな敵対心を持って迎えられていました。

こういった「教養」によって代表されるような文字文化的な価値観を、現在もっとも典型的に保持しているのが、おそらく大学、しかも人文系の諸領域(「文学部」)であると思われます。

私の言う「ハイパーテクスト」とは、順序通りに書かなくてもよい文章、つまり一つの文章がいくつかに分かれていて、対話的な画面上で読者が読みたいところを自由に選択できるようなものである。一般に理解されているように、ハイパーテクストとは、いくつかのちがった道筋を読者に提供するために「リンク」された文章が並んだものなのである。

ハイパーテクスト、すなわちテクストの個々のブロックないしはレクシ、およびそれらを結合する電子的なリンクからなる情報テクノロジーは、近年の文学理論・批評理論と多くの共通点を有している。例えば、ロラン・バルトやジャック・デリダといったポスト構造主義者の近年の著作がそうであるように、ハイパーテクストは、著者や読者、および彼らが書いたり読んだりするテクストに関して長い間抱かれていた因習的な見解を受け取り直している。ハイパーテクストの決定的な特性の一つとなっている電子的リンクはまた、ジュリア・クリステヴァの間テクスト性の概念、ミハイル・バフチンの多声性の強調、ミシェル・フーコーの権力ネットワークの概念、そしてジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリのリゾーム状態のアイディアや「遊牧的思考」を具現している。ハイパーテクスト性というまさにその考え方が、ポスト構造主義がおこったのとほぼ時を同じくして形を取ってきたように見えるが、この両者の収束点は、単なる偶然性によるものというよりは、もっと親近的な関係を持つものである。というのも、この両者とも、印刷された書物や階層的思考といった、相互に関連する現象に対する不満から育ってきているからだ。

一つのテキストを解釈するということは、それに一つの意味(多かれ少なかれ根拠のある、多かれ少なかれ大胆な)を与えることではなく、反対に、それがいかなる複数から成り立っているかを評価することである。まず、いかなる再現の(模倣)束縛も貧しくすることのない輝かしい複数のイメージを思い浮かべよう。この理想的なテキストにおいては、網目が多様で、いかなる網も他の網の上に立つことがなく、互いの間でたわむれる。このようなテキストは、記号表現の銀河であって、記号内容の構造ではない。それは始まりをもたず、可逆的である。いくつもの入り口からそれに近づくことができ、どの入り口がぜったいに主要な入り口であると断定することはできない。それが動員するコードは見渡すかぎり横に並び、そのうちのどれと決定することはできない。

これは身体性に関わる論議で強調されることですが、道具はそれを使うものに対して変容をもたらし、それにともなって、目的として考えられていたこと自体も変化を被ることがあります。コンピュータをかなり集中的に使う人は、「読む」こと、「書く」ことに対する微妙な感覚の変化、あるいは実際上の変化にすでに気づいているでしょう。それはコンピュータというメディアによってもたらされたものです。ここでも「メディアがメッセージである」というテーゼが決定的に成り立ちます。

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